キャリー・フィッシャー 


June 27,1983

キャリー・フィッシャーの写真キャリー・フィッシャーといえば、やはり『レイア姫』であろう。『スター・ウォーズ』3部作のヒロインである。これ以外の映画にも出演しているはずだが、僕は観たことがない。

初めて映画館のスクリーンで彼女を見たのは、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983)でのこと。僕は同じサッカー部の友人である坂口君(身長185cmのスーパー・ゴールキーパー、ただしちょっと間抜け)と一緒にこの映画を観に行ったのだが、この作品は、当時では最高水準の特撮技術を駆使しており、ジャバ・ザ・ハットに代表されるその異様な怪物たちの自然な動きや、森の中のスピーダー・バイクの疾走戦闘シーンなど、瞠目に値する光景に心を奪われ、まさしく映画の世界に入りこんでいたのだが、ふと横を見ると、坂口君の真っ黒い顔──「キッチン・ハイターでも漂白できねえんだよ!」とは本人の弁である──が暗闇と同化しており、ぽっかりと開けた口から白い歯をこぼし、えもいわれぬ間抜け面をしていて、すっかり興ざめとなった──皆さんも映画館の暗闇で、自分の隣に座っている身長185cmの色黒の大男が背を丸め、ニヤニヤしている姿を想像してみて下さい──ことをまるで昨日のことのように憶えている。

世間でよく言われるように、不幸とは重なるもので、『ダーティーハリー4』を観に行った時にも、まったく同じ体験をすることとなった。ラスト近くになって、ソンドラ・ロックが悪役の連中に捕らえられ、なぶり殺しにされようというまさにその時、緊迫感を高めるB.G.M.──チーチチチーチチチーチチチチチチ......という例のアレである──とともに忽然と(しかもシルエットで)クリント・イーストウッドが現れたその瞬間、「やったー! ハリー!! とっとと悪者を始末してやってくれ、いつものようによう!!!」と僕はこぶしを握り締め、心の中で叫んでいたのだが、ふと嫌な予感がしてそっと横を見てみると、やはり坂口君はとてつもない間抜け面をしていて、僕の精神テンションはしなびたなすびのように一気にしぼんでしまうこととなった。だったら一緒に映画を観に行かなければいいじゃないか、と賢明な読者諸君は思われるかもしれないが、確かに僕も今にして考えればそう思う。

ここまでの文章を読み直してみると、これではどうも坂口君の悪口みたいになってしまっているので、少しだけフォローしておきたい。これを読んでいる人は、坂口君がまるで身長185cmの大男で色黒で間抜けな奴だと思いこんでしまったかもしれないが、まあはっきり言えばそのとおりである。たしかに彼の黒い肌はキッチン・ハイターでも白くすることはできない。が、しかし、彼は小学校5年生の時にすでに身長が170cmを越えていて、バスに乗った時に子ども料金を払うと必ず車掌さんに叱られるという不幸な境遇でありながら、そのような逆境をバネとして、小学校6年生の時はキャプテンとして自らの所属するサッカー少年団を全道大会で3位に導くという偉業を成し遂げた男であり、また、高校の時も地区ナンバーワン・ゴールキーパーとして活躍、地区の選抜チームにも選出されたくらいのナイス・ガイなのだ。また、社会人としてもまっとうな人生を送っているようであり、昨年はとうとう結婚もしたそうだ。この場を借りてひとこと言わせてもらうよ。 結婚おめでとう、坂口君!

ところでキャリー・フィッシャーに話を戻すけれど、僕はどうしてこの女優が『レイア姫』を演じることとなったのかまったく理解できない。彼女のファンには申し訳ないが、正直言って『姫』というにはややルックス的に問題があるように思われてならないし、彼女はもっと普通の女性の役──例えばコメディ映画の普通の主婦役なんか──が似合うのではないだろうか?

先日、『スターウォーズ』好きの友人と話をする機会があった。僕が『スターウォーズ』シリーズに懐疑的であるのに対して、彼はマニアというほどでもないがけっこう肯定派である。「だって、キャリー・フィッシャーのレイア姫が問題ですよ。いやしくも『姫』というくらいなら、もっと気品がなくちゃ。例えば、えーと、そう、『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンみたいにね。もし僕がハン・ソロだったら、命をかけてまで絶対レイア姫を助けたりしませんよ。チューバッカとあてもなく宇宙を放浪して、面白おかしくやりますよ」と僕が言うと、彼は「う〜ん、たしかにそうかもしれないけど、『スターウォーズ』ってのはさ、何て言うか、要するにイヴェントみたいなもんなんだよね。とにかくみんなで参加して盛り上がるっていうかさ、アメリカではそういう感じだと思うんだよ。いろんなキャラクターが出てくるからさ、この間の『ファントム・メナス』の時も、映画館に行くのにコスプレしちゃったりしてさ、つまりその、アレだな、『踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃ損損』ってやつだよ」などと説明していた。なるほど、彼の言うことにも一理あるな、と思った。

それにしても、僕はいったいどういういきさつでキャリー・フィッシャーにファン・レターを送ったのだろう? 全然思い出せない。あるいは僕が心の奥底で彼女を好きだったからなのかもしれない。アンチ巨人の巨人ファンのごとく、あるいは好きな女の子をいじめる小学校低学年の男の子のように、どこか屈折した思いが秘められているのかもしれない。人間って、複雑ですよね。



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